2019.4.10

端午の節句!こいのぼりや鎧(よろい)・兜(かぶと)を飾る理由

端午の節句は江戸時代からお祭りだった?

こんにちは!「志木と朝霞のママさんを応援!」ステキライフ編集部です♪

さて、5月5日と言えば、こどもの日。こどもの日は1948年に制定された祝日ですが、もともとは五節句のひとつで「端午の節句」と言って男の子の成長を祈念する日でした。しょうぶ湯に入る習慣や、男の子の誕生を祝う習慣は、江戸時代に定着したと言われています。

それでは、どうして端午の節句に、こいのぼりや鎧(よろい)・兜(かぶと)を飾るのでしょうか。ステキライフ編集部は、端午の節句にこいのぼりや鎧(よろい)・兜(かぶと)を飾る理由を紹介します。

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端午の節句にこいのぼりを飾る理由

端午の節句は、江戸時代には男の子の誕生を祝う大事な日として定着していました。当時から、その年に男の子が生まれた家では、のぼりを立てて、男の子の健康長寿を祈ったそうです。のぼりは昔から祭りのときに使われ、神様を家に招き入れる通り道の役割をしていたそうですよ。

そして、なぜコイを飾るのかというと、中国の『登竜門』の伝説に由来があると考えられています。生命力の強いコイが、急な滝を登りきり、天を舞う竜となったという伝説です。また、コイはもともと生命力が高い魚です。こいのぼりには、男の子の出世や健康を祝うという意味があるのだそうです。

コイの上に飾る吹き流しは、「木」「火」「土」「金」「水」という、中国の五行説に出てくる色で構成されていて、すべてのものの構成要素を表します。

端午の節句に鎧(よろい)・兜(かぶと)を飾る理由

鎧(よろい)・兜(かぶと)は甲冑(かっちゅう)とも言って、かつて武士が戦場で身につけていた防具です。今は戦争がない世の中ですが、鎧(よろい)・兜(かぶと)を飾る習慣が残っているのは、災厄から身を守ることができるようにという意味が込められています。

鎧(よろい)・兜(かぶと)を飾る風習は、こいのぼり同様、江戸時代に定着したと考えられていますが、起源はそれより前の室町時代ではないかとも言われています。室町時代に終わりには、身の回りの安全を祈念するために、寺社仏閣に武具を奉納する風習があったのではないかと言われています。

なお、鎧(よろい)・兜(かぶと)を身につけた武将のモデルは、源義経や弁慶などとも言われています。

こいのぼりや鎧(よろい)・兜(かぶと)を飾ろう!

こいのぼりや鎧(よろい)・兜(かぶと)は、一般的に4月の終わりごろからこどもの日まで飾り、端午の節句を過ぎたらできるだけ早く片づけるのがよいとされています。

こいのぼりについては、最近はスペースの関係などで、なかなかのぼりを立てて飾る家庭も少なくなりました。マンションのベランダなど、狭いスペースでも飾ることのできるベランダ用のこいのぼりもあり、屋外にのぼりを立てるものと比べても、費用も安くすむことから人気が集まっています。

一方、鎧(よろい)・兜(かぶと)は、天候に関係なく、室内に飾っておくことができるため、多くの家庭で親しまれています。通常、鎧(よろい)飾りと兜(かぶと)飾りに分かれますが、鎧(よろい)のほうが格上のため、一番上の男の子のときに鎧(よろい)を買うのが一般的なようです。

志木ではダイナミックなこいのぼりが見られる

男の子の幸せをさまざまな角度から祈る端午の節句。こいのぼりや鎧(よろい)・兜(かぶと)が500年近く続いている風習だということに驚いたママさんもいるでしょう。

志木市では4月22日(月)から5月7日(火)にかけて、市役所と新河岸川のいろは橋近くまで、こいのぼりが泳ぎます。プラチナウイークに、壮大なこいのぼりを見に、お散歩してみてはいかがでしょうか。

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